1995年 GP80クラスから、いきなりレース活動を開始する。(峠、ミニバイク等の経験無し!)
小山工業高等専門学校卒業し、長岡技術科学大学に編入学。レース活動が本格化してくる。
1996年 レース活動に専念する為に、大学を休学。
1997年 それまでのGP80から、SP250クラスにステップアップ。初年度にも拘らず、NSR勢で唯一の優勝を挙げ、ランキング4位(NSR勢トップ)を獲得し、国際ライセンス(昔でいう国際A級)に昇格。
1998年〜 全日本選手権GP125クラスにエントリー開始。同時に、オリジナルカウルや、ラムBOX等の、FRP製品の研究・開発を開始。当時では殆ど一般化されていなかったデーターローガーを早くも導入して、データを元に開発を進める。
2002年 ようやく全日本に於いてポイントを獲得。ランキング34位となる。
2003年 全日本フル参戦を開始。さまざまな要因により、ポイントを獲得できず、レース活動継続を断念する。
2004年 タイ人ライダー、ラタパー・ウィライローの契約メカニックとして、全日本選手権GP125クラスにスポット参戦。
これまでの経験とデータを元に、市販版のRS125用のオリジナルカウルを開発。
2005年 引き続き、ラタパーのメカニックとして、今度は全日本選手権GP250クラスにフル参戦。ランキング7位を獲得。
2006年 4輪レースに参戦する為にオーディションを受け合格。FJ1600クラスからデビューを目指すが、HRCよりスタッフ契約の誘いを受ける。さんざん悩んだ上で、契約を結ぶ。
4輪レース参戦を諦めて、HRCスタッフとして、全日本GP250クラスをメインに、全日本選手権から、地方選手権まで、様々なユーザーサポート業務に従事。
2007年 HRCと契約継続。サポートライダーがランキング2位を獲得して、翌年WGPフル参戦を果たす。
現在のワークショップのベースとなるマイガレージを自ら作成して、愛しのビートいじりに精を出す。
2008年 HRCと契約を継続しつつ、「SPEED DESIGN N2F」を事業登録し、ガレージを拡張して事業の下準備を開始。
サポートライダーが年間チャンピオンを獲得。多くの若手ライダーの育成業務を担当し、成果を上げる。
2009年 いよいよ、本格的に「SPEED DESIGN N2F」を始動。乞うご期待!!

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